前回の通販ネタが自分的にまだまだ出し切れてなぁい!ので、いつか続編いきますね。
あ、いらない?

さて、今回は「あ、うん」です。

現在の日本はかつてない程、外国人観光客が多くなりました。日本に居住されてる方も多く見受けられます。東京あたりのコンビニ行くとまず、間違いなく店員さん外国人の方います。
札幌もチラホラ見かけるようになりましたね。

今、世の中は学校を9月入学にするか、で揉めてる真っ最中です。
桜舞い散る卒業式、入学式なんていかにも日本らしい光景ですが、明治時代に4月にしたので元は9月だったわけです。そうなると、新しい卒業、入学式は残暑の中‥?

世界と足並みを揃えて優秀な人材が日本に来やすい環境を、という訳で推してる訳ですが、まぁグローバル化なんて言われてもいまいちピンときませんよね。
近所のコンビニ行くと国籍すら不明の外国人の方がカタコトの日本語で応対してこっちが気ぃ使うわ! てな感じがきっとわたくしのグローバル化を感じる瞬間なのかも。

大昔、某外食産業のお店に十年程居まして。アルバイトさんが慢性的に足りない訳です。
求人をかけたらチラホラ外国人の(当時はほぼ中国の女の子)の応募が有りまして。
こっちも人欲しくて上の人間に相談する訳です。

わたくし「どーすかね? 一応日本語は話せるようですが」
上司「やめておけ」
わたくし「けっこうかわいいですが」
上司「うむ。それはさておき、やめておけ」
わたくし「御意に」

上司は以前外国人の子を採用したことがあるらしくコミュニケーションがたいへんだったようです。

問題点というか、気づきの話です。

「われわれ日本人は、察するという感覚を持ち合わせて、意識してあるいは無意識にそれを使っている」

「わかるでしょ?」
「きっとこういうことなんだろう」

言葉なきコミュニケーション能力、想像力を働かす。それがわたくしの思う日本人の1つの素晴らしい特性だと思います。

誤解無きよう書いておくと、外国人の子が悪い訳ではない。そういう文化、風習で生きてきたのだから当たり前ですね。

9月入学にきっとなるのだろう。優秀な人材がきっと日本に来るのだろう。
しかし、それだけではない。日本人の嫌がる仕事や介護の世界も人材難でどんどん外国人の労働力に頼らざるを得ない。

自分が年取って施設に入ったら介護士さんはほとんど外国人の方、なんてことは大いにありえる話なのだ。

アフターコロナの世界では、人と人はあまり近づいてはいけない。

しかし、そのぶん心だけは離れずに、察する、思いやる。そんな「あ、うん」を忘れてはいけない。そんな風に思います。